秋季キャンプの大切さは各球団の選手それぞれが十分に理解しているだろう。
その年のシーズン中に出てきたそれぞれの選手の課題やコーチ陣の戦略にチーム上の問題、それらを解決し、更なる飛躍を遂げるために来シーズンへ向けての準備はすでに始まっている。よって、現在キャンプ地のグラウンドの熱気は監督、コーチ、選手とそれぞれ高まり、中身の濃い練習風景が広がっていた。
「…………………はぁ」
そんなグラウンドの空気に水を注すような気だるげなため息と、いかにも落ち込んでいますという風な顔の男。
体中から陰湿なオーラをこれでもかというほどに立ち上らせ、逆の意味で一人で目立っている。
前田 慶次(まえだ けいじ)、プロ入り4年目のパワフルズの投手である。
高卒のドラフト4位でパワフルズへ入団し、3年目から1軍へ。
今シーズンはチームの先発ローテーションを1年間守りきり、13勝4敗で新人王を受賞している。
慶次は140キロ後半のストレートとキレのあるスライダー、打者の手元で沈むパームボールを武器に緩急自在のピッチングをする。
同期にプロ入りした投手に1年目から活躍していた猪狩 守や早川 あおいというスター性の高い選手がいた為、それほどファームでの注目はされていなかったが、高校の時に彼らと対等に投げ合ったという事実から裏打ちされる才能と本人の努力から、彼らから3歩ほど遅れる形で活躍という機会と結果を与えられる事になった。
今季のパワフルズは優勝は出来なかったがAクラス入りをし、終盤まで阪神やカイザースとの首位争いを繰り広げた。
慶次本人もチームの先発の柱の一角として最後まで投げることが出来た。
それでも慶次の課題は山積みである。
持ち球が2球種しかないために終盤の試合ではヤマを張られて打たれることが多く、最低でももう1球種覚える必要があるという事。そして足りないスタミナ、コントロール。
チームは今季惜しくも逃した優勝のために。慶司は自身の課題といわゆる『2年目のジンクス』というものを跳ね除けるために。本来ならば高いモチベーションと意気込みでこの場にいなければならないはずだった。
「二兎を追うものは………って言うけどなぁ」
一人ランニングを行う慶次はブツブツと何かを呟いている。
気が乗らない。
キャンプ初日に慶次に起きた出来事は、彼からポジティブなやる気というものを奪い去っていた。
『もしもし……慶次さん、恵です。あの……私、結婚することになったの。相手は普通の会社員の人なんだけどとても優しい人なの……』
携帯に繋ってきた恋人からの電話。
慶次が彼女と出会ったのは入団して最初の春季キャンプ。
彼女は二軍のグラウンドと一軍のグラウンドと間違えて、さらには慶次と助っ人外人を間違えてインタビューをする始末。ドラフト4位のルーキーと新人スポーツキャスターの出会いは、勘違いから始まった。
結局その時のインタビューの映像は後に珍プレーの番外・キャスター編として流され、初めて慶次の顔を野球とは関係の薄いところでお茶の間に放映されることになった。
それがきっかけで連絡先を交換するようになり、新人同士ということで話も合ったのだろう、それなりに仲良く電話で会話をするようになった。
試しということで慶次が一軍に上がり、中継ぎで投げて結果を出せずに落ち込んだときには慶次を励ます姿もあった。
とはいえ、片や人気の美人キャスター、片やドラフト4位の無名なルーキー。付き合いとして世間体の釣り合いが取れているかといったら否。尤も、人間関係……なかでも恋愛というものは釣り合いなどという周囲の感覚とは関係のないところに存在するものであるが。
そして、それを気にしたのは恵のほうではなく、どちらかといえば慶次のほうだった。
慶次にとっては初めての恋愛と呼べるものだった。
学生の時は正に野球漬け。朝から晩まで体を動かし、それを365日繰り返し、さらにそれを3回繰り返した。
単調だった。しかし退屈ではなかった。ライバルといえる存在がそこにいて、甲子園という目標がそこにあったからである。少しづつ進化――成長していく自分の体が退屈なわけがない。
野球にのめり込んでいた。
プロに指名され、さらに野球にのめり込もうとした時に彼女に出会った。
会話に図々しく出張ろうとした同期入団の男を拳をもって天然芝に沈めた。
雲の上のような助っ人外人の名前も騙って彼女との会話を長引かせようとした。
しぶとく復活し、全てを台無しにしようとした同期入団の男の鳩尾に硬く握り締めた拳を打ち込んだ。
騙してたんですか? と潤んだ目で問いかける彼女に必死で弁解した。
何とか話がうまく進み、連絡先を交換した時に初めて『プロになって良かった』と感動で震えた。
憧れていた選手や尊敬する選手と話せた時よりも感動した。
一目惚れというものだった。
学生時の野球へののめり込み様がそのまま移行した形になる。
寮長やコーチに見つかる危険を冒してまで夜の延長戦に疲れた体を引きずって進み、慣れない携帯電話の操作を覚え、高級スーツやレストランに年棒のほとんどをつぎ込む。飲みっぷり、おしゃれ、教養……およそ野球とは関係のない部分に力を入れた。
そんな2軍での慶次の評判が、別の意味で高まろうとした時だった。
テレビに彼女が映っている姿を観た。贔屓目抜きに輝いていた。そして気づかされる。
立つ位置が、彼女のいる場所が自分とは違うということに。
その次の日から慶次は変わった。学生時に『ライバル』『甲子園』という餌を目の前に釣る下げられた野球バカの集中力が戻っていた。
正に人が変わったように練習に取り組む慶次の姿があった。
その日は奇しくも猪狩守が初先発で完封勝ちをした次の日であり、スポーツ新聞はその話題で一色だったために周囲の人間やコーチは「高校の時のライバルの活躍でようやくあいつにも火が点いたか」と勘違いした見守りようだった。
しかしそんな高尚なものではない。ただ「ライバル」「甲子園」という餌が「恵と同じ場所に」という餌に変わっただけである。ただそれだけなのだが、いや、ただそれだけだからこそ雑念の混じる隙間のない集中力で練習に取り組んでいたのだろう。
ストイック、ハングリー、そんな言葉が当てはまる慶次の練習や試合への姿勢は、いつしか2軍全体へ浸透することになり、2軍全体の実力が底上げされることになった。
ファームでの優勝。その次の年に慶次は一軍に顔をだすようになった。しかし結果が出せないということと、一軍の投手陣の好調さから逆戻りする……それを何度か繰り返した。
周囲の人間やコーチはまたしても「焦るな。猪狩や早川と同じ舞台に立つ時は必ず来る」と少し勘違いした励ましようだったのだが、慶次はそれにすら耳を貸さずに「恵と同じ場所に」という餌へ突き進んでいた。
そして3年目のシーズンに結果が出ることになる。
シーズン中の周囲の評価はやはり、猪狩守や早川あおいとの比較されてのものになった。猪狩のようなストレートも早川のようなコントロールもない慶次の老獪ともいえるピッチング。彼らを「天才」と評し慶次を「秀才」と当てはめ、話は高校時の彼らの投げ合いにまで話が及んだ。
そのシーズン中で新人王を競うようになったのはカイザースに入団したゴールデンルーキーの友沢だった。
友沢は紛れもない天才だった。努力と才能を高い水準で積み重ねてきた男。
カイザースの3番の座に1年目から座り、猪狩と並びカイザース優勝の原動力となった。
しかし、そんな友沢も目の前に餌をぶら下げられた男には敵わなかった。
結局試合に負けて勝負に勝ったということである。
ようやく彼女と同じ所に立てた。年俸も上がり車も購入し寮からも出た。
いざ、という時に携帯からのメロディが鳴った。彼女からの電話に設定したメロディだった。
目の前の餌がなくなった男は脆かった。初めての敗北といえるかもしれない。
「普通の会社員とはなぁ………そりゃねえよなぁ」
自分がどれだけの覚悟で努力を重ねていたのか。おそらく彼女は知らないだろう。
彼女がどんな思いで自分を見ていたのか。おそらく自分自身もわかることはできないだろう。
ようやく彼女につりあう男になったと思ったら、ようやく餌にたどり着いたと思ったら、それは他の誰かのものだった。他の誰かのものになっていた。
「まいった………マジで何もやる気にならん」
だらだらと走る慶次の姿はコーチ陣の知るこれまでの練習姿勢ではなかったが、結果を出して緊張の糸が切れたのだろうという間違った見方でとりあえず保留という形にされていた。真相は女に振られたショックでやる気が失せているという、まるで高校生のような理由なのだが。
彼女はキャスターという仕事もやめて家庭に入るそうで、おそらくは二度と慶次が彼女の姿を観ることはないだろう。
「やめちまおうかな……」
中々洒落にならない事を呟きながら、ダラダラと走る慶次の姿を見つめる一人の女の姿があった。
「あっ、前田慶次さんですよねっ? わたし、恵さんの後任のスポーツキャスターになった………………
慶次の前に新しい餌がぶら下げられた瞬間だった。
去年を上回る成績をたたき出し、MVPも受賞という結果を出すことになる来シーズンへむけての慶次のキャンプが始まった瞬間だった。
パワプロ12マイライフ。